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文明の行方

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2014年6月

2014年6月30日 (月)

その後の我が家の農業白書

そのごの農業

 

東京で、ボランティアの仕事が、きまって土・日と入って、我が「フクロウ亭」には、なかなか行けません。畑は、草ぼうぼう・・・

 

それでも、野菜が高価なので、がんばってサツマイモやら、大根やら作ってはみたのですが、イノシシ、シカ、サルの御三家に加え、最近はキョン(小型の可愛いジャコウジカ)まで加わって、さながら自然動物園の餌になってしまいます。

 

さらに、近くに「ゾウの国」が出来て、園内で放し飼いをする始末。ゾウが、認知症になって柵を押し倒して逃げてきたら、電気柵など踏みつぶすのは必定です。庭先の大根くらいではゾウの給食は一日ももちません。

 

これには困って、生態学的に対処しようかと、「かみさん」は、サバンナに生えている大きなアカシアが,キリンやゾウから身を守っているのにヒントを得て、カラタチの実を家の回りに埋めはじめたのです。

 

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実生から育て、ゾウも入れないようなカラタチの垣根を作ろうというわけです。

きっと、これならゾウもシカも入れなくなるでしょう。

 

でも、その時は、我が家の「かみさん」は「神さん」になっていることでしょう。

 

東京にいるときは、動物保護を叫び、こちらでは捕まえて鍋や燻製にしようと叫ぶ

 

かくて、我が家の「農業」は、愛する動物たちの食欲に負けて、高齢化を待たずに危機寸前!!

 

補遺

それから10年、カラタチは見事に育って2メートルを超え、ゾウもシカも入れなくなりましたが、まだ敷地の一部だけなので、電気柵はそのままです。

2014年6月29日 (日)

どちらが先

どちらが先

 大きな温州ミカンの木を買ってきて植えておいたら、すぐにアゲハチョウが卵を産んで新芽を全部食べられ枯れそうに。「農薬はやらないぞ」と意地をはって見ていたら、翌年の新芽はほとんど食べられませんでした。

なるほど、ミカンの方が化学的防衛物質を生産し、苦くなったからに違いありません。5年目になるとたわわに実り、落ちそうになりました。

 妻と「完熟したから、あした食べよう」と楽しみにしていたら、翌朝、ベランダの椅子の上にミカンの皮が置いてあります。サルの仕業です。

 地元の人が「先生、奥さんにそろそろ食べようか、と言ったべ」と聞くので「きのう、あした採って食べよう、と言ったけど」というと「サルに聞かれてたんだよ、サルのやつ先回りして盗ったんだべ」

「へー盗み聞きするの?j 「そうさ、だから明日採ろうと思ったら、奥さんに、あさって採ろう、と大きな声で言えばいいよ」

「そうか、安心させておいて明日とってしまえばいいというわけだね」

「アハハ、サルを騙してやるのさ、先生少し利口になったベ」

 補遺

 翌年から、試そうと思ったのですが、こんどは、我が家のかみさんが、サルに採られまいと青いうちに採ってしまい、未だに、試す機会がありません。

共存の未来が気にかかります

2014年6月28日 (土)

ビギナーズラック

これを機に発奮して、練馬区の「農業公園」に研修生として入学、3人の農家の人に教えられ、一年間研修、収穫量一番の成績?で終了し、勇んで外房で再挑戦。この時はすでに家も完成し、ホタルの飛び交う庭先農園をはじめることになりました。

 畑は地続きの休耕田を借りました。「いくらでも使いな」と言われて、開墾を始めたのですが、ススキやチガヤなど多年生草本の根がびっしり絡み合っていて、スコップでプロック状に切らないと耕せません。 

困っていると農家の人がトラクターでやってきて、数回往復したと思ったら「ま、先生ならこんなもんだべ」とあっという間に帰ってしまいました。

200坪くらい開墾するつもりでしたが「とりあえず、30坪から始めるか」と、小さな庭先農園で、自称「第五種兼業農家」が誕生しました。

 近所の農家をはらはらさせながら夏になると、庭の畑にスイカが実り、なんと、大玉、小玉、赤に黄色全部で22個も採れました。

 もちろん食べきれないので、お中元に送ったり、農家の人に「どうだ」と自慢したり、それでも残って、「朝市で売ろうか」という騒ぎ。

 しかし、スイカの豊作はこの年かぎりで、翌年からは梅雨時にペト病にやられ諦めることになりました。

 改良を重ねて美味しくなったかわりに、ヤワになった乾燥地原産の野菜は梅雨を無農薬で乗り越えるのは難しいらしい。

 ビギナーの成績に気をよくして、夏野菜など16種類の苗や種をまき、少しは口に入るかと収穫の時を待ちました。もちろん無農薬、化学肥料も使いません

 ナスやキウリ、トマトはもちろん、アスパラガス、キヌサヤエンドウ、スナックエンドウ、ジャガイモ(3品種)サツマイモは4品種、オクラにブロッコリーその他種屋さんで珍しいものがあると買い込んで、もう何十種類かを栽培してみました。

 消えて芽が出なかったり、草におおわれて姿を消した野菜もたくさんありますが、うまく収穫できた野菜もあります。沢山穫れると食べきれないので、東京に持ち梼って親戚中配りまくってもまだ余ります。有名な朝市で売りたくなるほどです。

 自給自足の目的達成、と言いたいところですが、たしかにナスやジャガイモ、ピーマン、トウガラシ、コマツナなど自給自足どころか他足も出来ますが、困ったことにそれも旬の間だけ。あるときはありすぎて困っても、ないときは何も無いということになります。

 江戸時代に用水路として掘られた地下のトンネルがあるので、貯蔵庫代わりにして長持ちさせていますが、保存はそうは効きません。昔ながらの乾燥野菜や塩蔵、燻製などは今でも保存法として立派に役立ちます。

 どうやら、現代文明の産物では、一番役に立っているのは冷蔵庫、第二は草払機のようです。

パパラギ三世自給を目指す

25年程前の春、長年暮らした職場から房総半島の地方大学を望んで赴任。

 その時、つい、「田舎に永住する」と、いつも取材に来る朝日新聞の記者に話したら、まだ当時は珍しかったのか、なんと、夕刊の人欄に、「米以外は自給を目指す大学教授jと載ってしまいました。

 もう、後には引けません。新任の挨拶での自給宣言のあと「畑はあるのですか?jと質問され、「ありませんので、どこか紹介してください」と頼んだら、なんと3人から「いいとこあるよ」と世話されて、いまさら遠慮するわけにもいかず、(坪数百円だったので)3箇所全部買ってしまい一躍数百坪の大地主?に・・

 かくて、実現しないと思っていた憧れの田圃生活が始まりました。

 まだ、家はなくて大学からパイクで10キロの道のりを、ときどき訪れる程度でしたが、早速、朝市でナスやキウリの苗を買い込んで植えていると、通りがかった元お姉さんが「先生 なに植えてんかねjというので、「ナスのつもりなんだけど、これキウリかな」というと、アハハと笑って「どっちにしても、だんだん小さくなって、なくなるべ」

 そんなことあるものか、植物は炭酸同化作用で成長するのだから。と意に介さずにいたが、しばらくたって、もう、一つや二つ収穫できるだろうと行ってみると、ほんとに無い。

 この辺だろうと探してみたら小さな苗がますます小さくなって消えそうなのを発見。

 見事に草に覆われて、炭酸同化どころか、呼吸にエネルギーを使われて、ほんとに小さくなったらしい。

 

2014年6月27日 (金)

彼らが夢見た2000年

 未来を見るには過去を見ろとよく言われます

 そうはいっても、未来を見るために過去を見ただけではわかりません。過去の先にはもっと昔の過去があるだけで、未来はありません

 逆に、過去から現在を見れば、その先には未来が見えるはずです

 でも、過去から現在を見るためには、過去の人にならないと出来ません

 しかし、過去の人の現在への夢が具体的に残っていれば話は違います

 つまり、昔の人の現在への夢が、今どうなっているかが解かれば、その延長上に未来を考える手がかりが得られます。

 その、_016_018_2うってつけの資料が残っていました。

 1999年に出版されたアンドリューワットと長山靖生著「彼らが夢見た2000年」(新潮社)という大変興味深い本です

  この本は、120年ほど前、産業革命が成功して、科学技術の発展に沸いたころ、イギリスではビクトリア王朝時代、日本では明治時代、欧米化が急速に進んだ時代のものです。

 当時から見て約100年後の「2000年」にはどんな時代になるかを描いたイラスト集です

 その頃の「2000年」への夢を描いた絵葉書やポスターがたくさん集められています。西洋が主ですが日本のもあります。

 

 120年前の人々が、未来はこうなるだろうと描いた夢の暮らし、例えば、イギリスの台所風景、一つ一つは便利でしょうが、忙しいとき料理に使うとなると見つからない。同じようなことが、日本でもありました

 例えば,ジュサーミキサー、結局、便利なはずが、ちっとも便利じゃなかった

 2000年には世の中はこうなっているはずでした

 三階の屋上ジムで棒高跳びが出来ます、汗をかいたら露天風呂も完備しています。

 巨大ホテルには(エレベーターは前日までに予約が必要)(理髪店まで一時間)と書かれた案内板があります。「雲の上の空中バー」「空飛ぶ売店」「自動お化粧機」「飛行機タクシー」「個人ロケット」

 120年前の夢の数々、産業革命を成功させた勢いで実現させたら出来たはずなのにほとんど実現しませんでした。

実現する前に、「パパラギ」に出てくる酋長と同様、実現の意欲(意味、意義)を失ってしまったようです

はじめに

「パパラギ」は1920年、ドイツのエーリッヒ・ショイマンが紹介した「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演舌集」です。

原始的な生活をしていたサモアの酋長が、まさに一足飛びに機械文明の中に飛び込んだのですから、驚き、戸惑いながら島のくらしに重ね合わせて考えたものです。

そして、子供のように純粋な心の窓から見た文明人の「丸い金属と重たい紙」つまりお金を神のように崇め、使うことのない、「大して意味もない、粗雑で、生きている血の暖かさのない機械」に囲まれて、これで幸せなのだろうかと思うのです。

「パパラギ」が世に出たころ、西洋では産業革命の花が開いて、あらゆるものが便利で効率的になり、台所では家庭用便利器具で足の踏み場もない時代でした。このまま、文明が進めば、どんなに便利な世の中になるだろう、西洋の人々が2000年にはこんな世の中になっているだろうと夢見た記録も残っています。

アンドリュー・ワットと長山靖生(1999)の「彼らが夢見た2000年」です。これは、今から120年ほど前の西洋人が2000年にはこんなに便利な世の中になっているだろうと考えたイラストや絵葉書です。

しかし、当時の夢はほとんど実現しませんでした。人々が実現する前に意欲を失ったからです。そんなこと、ちっとも幸せでないと気が付いて、夢を捨てたからに違いありません。

人々は今、便利さや効率化を避け昔ながらの自然や暮らしを求め始めています。

100年前にサモアの酋長が、無垢な、うまれてはじめて外を見た子供のように観察し、洞察したことが、あらためて、私たちに問いかけているようです。

100年前からするとそろそろ三世代になります。「パパラギ」の問いかけにどう応えていくのか考えてみたいと思います。

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