無料ブログはココログ

文明の行方

  • 00000149_039
    パパラギ

自然写真

  • 朝寒のミンミンゼミ
    人間の力を超えた存在の写真を目指して

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月

2014年7月30日 (水)

「彼らが夢見た2000年」の夢は・・・

「彼らが夢見た2000年」はなぜ実現しなかったのか 

人間と結びついている自然「内なる自然」のうち、視覚では・・・


大都会を離れて、わが「フクロウ亭」00000216

 ある谷津田の一角に入っていくと、見慣

 れた里山の風景なのに、何故かほっとし

 ます。

 里山のもつこのやすらぎは、なぜなのだ

 ろうと、かねてから思っていました。

 ヤマを背に水田の広がる、ひろびろとし


 た風景のなかに、棚田を区切る畦のやさ

 しい曲線や、小川のせせらぎと、小さな

 堰で出来た池のような淵、そこには、生

 き生きしたメダカやイシガメが泳ぎ、

 ホタルが飛び交っています。

 そんな里山がいつの間にかなくなってきたので、なんとか保存しようという声があ

 がっています。

 単なるノスタルジアと考えられなくもありません。でも、不思議なことに、

 昔の谷津田を知らない若い世代や外国人もなんとなくやすらぐというのです。

 

103つい最近まで、どこにでもあったのどかな里山の風景に、誰もが感じるふるさとは

 何か特別の意味があるのでしょうか。

 

里山の風景がわれわれを育んだ原風景だとすると、民族の原風景はどのようなもの

 だったのでしょう。柳田国男によると、人は、いわゆる「朝日の直指国、夕日の日照る国」を選び、片平(カタビラ)の地を求めたといいます。

 「カタビラ」とは、友人の松崎憲三成城大学教授によると一方をヤマにより、一方

 に田野を控えた地形を指す語です。

 「サト」はこのようなカタビラの地に多く立地していたそうです。どうやら、日本

 人は伝統的に「カタビラ」の地、すなわち、ヤマを背にした開けた空間を原風景と

 して求めて暮らしていたらしいのです。

 うだとすると、先にみた谷津田の原風景も、ヤマを背に、日の直指す水田を南に

 しているので、「カタビラ」の地の一類型ということができます。

 民族の原風景と、われわれ現代人の原風景の一致は、単なる偶然のものでしょう

 か。それとも、何かそうさせる本質的なものがあるのでしょうか。

 そこで気になるのが人類の原風景です。

 

もう40年以上も前のことになりますが、私と立花直美武蔵野美大教授は、どのよ

 うな自然環境が人間にとって〝快い″か、〝やすらぐ″かを調べてみました。その

 結果、尾瀬のヌマガヤ群落のような、見通しのよい草原・疎開林型の自然が評価も

 高く、人々がやすらぐことがわかりました。

 この結果は、アジアやヨーロッパの人も同じ傾向でした。


どうして人々は、見通しのよい草原・疎開林型の自然に、やすらぎを感じる

 のでしよう。

2014年7月29日 (火)

「彼らが夢見た2000年」6

「彼らが夢見た2000年」6


なぜ、自然を捨てられなかったのか

 焚火のゆらめき以外にも、人間にとって欠かせない自然があります。

 人類の進化の過程で結びついたと考えられる生得的な


人類共通の「内なる自然」です。
(生得的かどうかは、共通してみられるかどうかでわかります)

 たとえば、人間の五感と結びついた自然。

 味覚では

 人類は共通して甘いものが好きです。

 人類の祖先が樹上生活をしていた時代、甘く熟した果実食を通して結びついたからと考えられます。

 聴覚では

元筑波大学の大橋力教授によると、人類共通して耳に聞こえないゆらめきを伴う超高周波音のある音にやすらぎを感じるようです。

 これはほんとに不思議なことです。現在は聞こえなくても不自由しない超高周波音が、あった
方がやすらぐのは、

進化の過程で太古の昔の原始の森の音と結びついているからと考えないと説明ができません。

2014年7月21日 (月)

「彼らが夢見た2000年」5

「彼らが夢見た2000年」5

 120年程前の人々は、便利化のために鉄とコンクリートをふんだんに使った夢を描いていました。

町の上を数えきれないロケットやヘリコプターが飛び交い、地上は鉄とコンクリートだけの都市を夢として描いています。

自然は描かれていません。

 村の上に、空中に浮かぶもう一つの村もありました。

 しかし、こんなに自然がなくても大丈夫?と、すぐに気が付いたようです。

 1897年に刊行された雑誌「カントリーライフ」の25周年記念号には「われわれイギリス人は都会に住んでいても、心の奥底では田舎の住人なのである」と記し、広くイギリス人に支持されました。

人々は田園の自然から離れられなかったようです。そして、理想郷として機械文明とは反対側のアルカディアの風景を描いていました。

また、文学ではロマン派、庭園では自然と歴史を取り入れたイギリス式庭園を生み出していました。

 サモアの酋長の演舌集「パパラギ」が刊行され、多くの人に読まれたのもこのころです。

 20世紀の初めころには、早くも「2000年に描いた夢」の実現への意欲は失われていったのです。

 では、なぜ、人々は早々と自然に回帰したのでしょう。

 便利な社会になっても、自然から離れられない何かがあったからに違いありません。

2014年7月16日 (水)

彼らが夢見た2000年」4




「彼らが夢見た2000年」4

 120年程前の夢の数々、技術的には可能だったのに、何故か、実現の意欲を失ってほとんど実現しませんでした。

 一つ目の理由は「便利のつもりが、ちっとも便利でないのよね」二つ目の理由が「これが便利なの?」

 三つ目の理由は、便利にしようという目的は忘れなかったけれど、その代り、大切なものを犠牲にして便利化させてしまった。

 例えば、

 便利と効率をひたすら目指した時代、人々にとって炎は光源と熱源としてしか映らなかった

 そして、光と熱を別々にして進化させました00000498_017

 炎の光は、竪穴住居では備え付け型の炉として、炎の形で光と熱を分化させずに使っていました。やがて、光を分化させて進化させます。

 光源は炉のように動かせないと不便です。そこで、人々は動かせるように土器の中に入れ、移動可能な光源として利用するようになります。やがて、夜間の移動照明用に、松明、吊り手土器に進化させ便利化します。

 そして、近世には燈火、紙で覆った行灯、土器で覆った瓦燈、提灯、ランプと進化します。

 この段階ではまだ炎の形はありますが、近代になるとガス灯から白熱電灯、蛍光灯、発光ダイオード・・・

 そして炎はなくなり光だけが残りました。

 炎の熱も同様です、囲炉裏は炎の熱を利用していましたが、動かせないと不便だからと、移動できる火として七輪が発明されやがて、電熱器、電子レンジに進化しました。

 そのことが悪かったというわけではありませんが、その過程で、原始の人が大切にしていた炎、明るい光とともにあった、暖かいゆらぎも捨ててしまったのです。

 一般に、文明は効率化にために、物事を細かく分けて、一つ一つを特殊化させるという方法をとってきました、その方が効率がいいからです。

 ですから、炎に限らず、とりあえず必要でない機能は捨ててきたのです。

 人間は便利化のために、様々なものを捨ててきました。

 しかし、人間にとって、捨ててはいけないものもありました。

 炎の光も単なる光と熱だけで成り立っているのではありません、原始時代から深く人々と結びついてきたものです。

 だから、今でも人々は、ランプの光や、キャンプファイアー、火の祭り、鵜飼い、花火などを求めつづけています。

 便利化の陰で、炎以外にも、人間にとって欠かせない大切なものがありました。

 自然です。

2014年7月14日 (月)

「彼らが夢見た2000年」 3

「彼らが夢見た2000年」3

 120年程前の夢が、実現しなかった一つ目の理由が、便利なはずが、ちっとも便利でなかったからですが

 二つ目の理由は、便利化を目指したものの、何か変なのよね、もしかして、目的を間違えたのではない?

 1900年頃の画家、ヒース・ロビンソンの絵「わが庭に幸いあれ」筑摩書房1998のイラストには

 庭の便利化では、 屈まないで庭仕事が出来るように、台車の上にマットを敷いて腹這いになって草取りをしています。もしかして、屈めないの? だったら、なおさら・・・

 そもそも、自然に触れることが目的の庭仕事なのに、何してるの?クッションに乗りたいの?

 自然の中での運動も機械化で快適に、運動するのに機械化して運動なの?

 本を読みながら気球に乗った子どもとお散歩、電動ベビーカーに親も乗って外出。便利になって運動不足

 あげくの果てに、太りすぎたら、まず、体重計に乗りながらの食事で減量、それでも太ったら、瞬間減量機で一瞬にしてスリムに・・

 そこまでする必要あったのでしょうか、便利化の目的がおかしくない?


これでは、2000年を待たずに実現の意欲を失ったのは当然です。

2014年7月12日 (土)

「彼らが夢見た2000年」2

「彼らが夢見た2000年」2

 120年前の夢の数々、産業革命を成功させた勢いで実現させたらできたはずなのにほとんど実現しませんでした

 実現する前に、実現の意欲(意味、意義)を失ってしまったようです

_117
原因は三つほどに集約されます。

 

一つ目の理由は、便利なものを作ろうとしたが、結果としてちっとも便利じゃなかった

  例えば、100年前のイギリスの台所の想像図です

 さまざまな「切り刻み機」などのハウスホールドガジェットが発明されました

 リンゴとポテトは皮むき器が別です。リンゴは皮を剥いて、八割りにして、芯を抜くのを一瞬でしてしまう便利製品です

キッチンには便利製品が溢れていて、主婦は料理を作るよりも、道具を探すのに大わらわです。

 掃除機はホースの先だけ借りています、客を招待してお掃除パーティーをしたりしました。

 一つ一つは便利でしょうが、料理に使うとなると見つからない。どこにあるかも忘れてしまいます。

 「あなた、知らない?」

 不便でしょうがない。主婦のイライラは募るばかりだったでしょう。

その後、台所は本当に必要な冷蔵庫などを残し、夢の品々を捨て、逆にシンプルになっていきます。

  台所用品以外にも、便利を目指して彼らが夢見た未来の製品で、ちっとも便利になりそうもないものが沢山ありました。

 100年以上前のイラストなので、著作権者の所在が分からず(ほとんど天国?)著作者の許諾が得られないので残念ですが画像を入れられません。

 1902年に発明され、1904年に1ポンド25セントで実際に市販された自動紅茶沸器もあります。実物がロンドンの科学博物館に残っています。

 朝、目が覚めるとすぐに紅茶が飲みたいイギリス人にはとても便利です。
しかし前の晩に・・・時計仕掛けで持ち上がるやかんの中に水を入れ、アルコールランプとマッチの用意をして、時計をセット・・・前の晩に全部準備しなくてはなりません。便利どころか十分不便でした。

 
同じことが日本でもありました 

ジューサーミキサー買いませんでした?一度は便利さに感激して使ったでしょうが、今どうなっていますか?

_142_2
きっと、棄てられたか、台所の一番上の棚の奥で埃をかぶって、眠っていると思います

 なぜ、使わなくなったのか、ちっとも便利じゃなかったからです。少しばかりのジュースをつくっても、そのあと、仕舞うまでの大変なこと、「まー、不便ね」

 

東京都の消費生活モニター・アンケートによると、「使われなくなった便利製品」の第一位はジューサーミキサー

 電気ゴマすり機、買いました?電気洗顔機は?・・・・

 あー、便利製品の取り扱いに、そんなに手間と神経使うなんて・・・ちっとも便利じゃないよ。便利って何なの?

2014年7月10日 (木)

「彼らが夢見た2000年」 

「彼らが夢見た2000年」

 「彼らが夢見た2000年」(1999、新潮社)この本は120年ほど前、産業革命が成功して、科学技術の発展に沸いたころ、イギリスではビクトリア王朝時代、日本では明治時代、欧米化が急速に進んだ時代のものです。

 みんなが便利な効率的な科学文明の夢を描いていた時代です。

_016_018_141

当時から見て約100年後の「2000年」にはどんな時代になるかを描いたイラスト集で、効率的で便利な世の中を夢見ていたことがわかります。

 長距離バスの三階には屋上ジムがあり棒高跳びもできます、汗をかけば露天風呂も完備しています。

 「雲の上の空中バー」「空飛ぶ売店」「自動お化粧機」「飛行機タクシー」「個人ロケット」「海中ホテル」

 

120年前の夢の数々、産業革命を成功させた勢いで実現させたら出来たはずです。

 

いま、未来に向けて示唆的なのは、120年前の夢の数々で、男女同権の夢を除いて、現在の技術ならできるはずなのに、ほとんど実現していないことです。

 それどころか、早い時期に実現の意欲を捨ててしまったようです。

 実現した、たとえば、「自動紅茶沸し器」は1904年にイギリスで市販されていたのですが、今は科学博物館に残るのみです。

 実現する前に、実現の意欲(意味、意義)を失ってしまったようです

 そして、逆に機械文明から手作り、スローライフ、自然庭園、歩道権などが急速に求められてきました。

 機械化、文明化が進展する中で、20世紀はじめのヨーロッパの「パパラギ」(白人)は機械文明をおしすすめることに疑問を感じ始めたようです。

 ショイルマンの「パパラギ」が世に出たのは1920年、そして、世界各国語に訳され支持されたということは、その頃すでに機械文明が人類の未来に幸せをもたらさないと感じる人が多くなったことの証でもあるでしょう。

 では、なぜ、西洋の人々が機械文明に疑問を感じ、2000年への夢を捨てて、手作り、スローライフを目指すようになったのか、

 

原因は、3つほどに集約されると思います。


2014年7月 2日 (水)

カントリーハウス 2

憧れのカントリーハウスが完成し、梅雨明けのある日、はじめて入居することに。


玄関を空けて中に入ると、自動的について
いる電灯の回りがなにやら異様です。

 なんと、小さな虫が蚊柱をつくって群舞しているのです。

 事態を理解するのに時間はかかりませんでした、風通しのため開けていた網戸の網

の目を通り抜ける小さな虫が、光を求めて、無数に入り込んでいたのです。

 さあ大変、リゾートどころではありません。

 そのご、折角の、近代的設備が全く役に立たないことが続出しました。

 玄関の外灯は、虫が大量に集まるので、それを待つ捕食動物がたくさん集まりま

す、アマガエルやモリアオガエルぐらいはいいのですが、ヒキガェルもたくさん来

ます。躓くのでお互いに迷惑です。ジョロウ グモにオニグモは強靭な巣を作るの

で、うっかり玄関からは入れません。

 とうとう、玄関の外灯も、リビングの電灯も外してしまいました。そればかりでは

ありません。年に何回かは、虫の襲来で家の中の電気をすべて消さなくてはなりま

せん。 

 懐中電灯を二人でもって、家の中を歩く羽目になりました。

 まさに真暗い中でのあこがれのランプ生活そのままです。

 便利なはずのお風呂の設備も、消毒していない井戸水を汲み上げて使っているの

で、パイプのなかで藻が増殖してボイラーのところで詰まります。 

無理してつけた天窓も、虫が入るので開けられません。

知り合いの別荘では電動開閉式の天窓にしたら、雷が鳴ると、なぜかセンサーが誤

作動して開いてしまうのだそうです。留 守中も夕立の度に開くので使っていません

とのこと。

 雷が原因で、モニターの基盤が直ぐ故障してしまいます、ファックスもボイラーも

基盤が故障すると修理に1回二万円もします。 

とうとう、ファックスを取り外したら、玄関のインターフォンも使えなくなりまし

た。

 でも、静かなので、人が来て怒鳴れば直ぐに分かります。

 テレビはもともと映りません。携帯も圏外です。(2011年に開通したので、固定電

話を取り外したら壁に大きな穴が開きました。)

 クーラーは海からの風が涼しいのでほとんど使いません。床暖房も出番がまずあり

ません。

 かくして、夢に見たイロリもカマドも土間もある暮らしもあきらめて、ひたすら効

率のよい便利な住みよいハウスを目指した我が家のはずが、田舎暮らしにはちっと

も便利でないことが分かりました。

「パパラギ」に登場するサモアの酋長の言葉が身に沁みます


 
「便利な暮らしって幸せなの?」

2014年7月 1日 (火)

カントリーハウス




カントリーハウス

 

25年ほど前、房総半島の里山に、退職後にも使えるカントリーハウスを造ろうと、友人の女性建築家に相談しました。

 「ログハウスがいいな、ランプの明かりで、カマドのご飯、水は井戸から釣瓶で汲んで‥・」

 と、熱っぽく語る私をよそに、「念のために聞くけど、奥さんも賛成なの?」「もちろんさ」

しばし、考えていた彼女は、「家事は奥さんに、させない自信ある?」と聞きます、変なこと聞くなと思っていたら「たまに、別荘にきても、女性が掃除と炊事して帰るだけだと、すぐに来なくなるよ、それでもいいなら、造ってあげる。はじめから屋根に草を生やしてね」

よく聞くと、週末に使うだけのカントリーハウスは 「家事を最小限に出来る設計にしないと、主婦は疲れるだけ、ちっともくつろげないので、すぐに来なくなる。」というのです。

 素直な私は、それもそうだ、もっともだ、流石は売れっ子の女性建築家だと、すべてを任せ、東京の家より便利な設備の設計にしました。
 

谷戸の奥、里山の自然に囲まれた、近代的なカントリーハウスが、こうして無事完成しました。 

 

留守中に泥棒に入られると困るので、住んでいてもいなくても、夕方になると玄関のポーチの外灯がつきます、外灯だけだと外出していると思われるので、リビングの電気もタイマーで7時から、11時までついて、就寝時間になると、人がいなくても消えるようになっ ています。(そのころはまだ、珍しかった設備です)

 キッチンはドイツ製、トイレの壁はイタリア製のタイルです。さあどうだ、これなら、奥さんだって毎週来たくなるだろう、と思っていました。

 完成が春になったので、梅雨が明けた頃、初めでの夏を迎えて久しぶりに出かけました。

 設備は順調に働いてくれているらしく、夜遅くついた私たちを、明るい家の光が出
迎えてくれました。

玄関から入ろうとした私たちを外灯の上で、アマガエル、シュレーゲルアオガェ
ル、モ
リアオガエルが揃って出迎えてくれました。ホタルも寄ってきます。 

 「ちょっと贅沢だけど、造ってよかったね」と玄関を空けて中に入ると、自動的に
ついている電灯の回りがなにやら異様です。Dsc_2498_046_3

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »