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文明の行方

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2014年8月24日 (日)

3、新仮説―人類がサバンナに進出した地学的理由

 爬虫類、恐竜時代の高温多湿の気候から新生代に入って中新世(2300万年前~530万年前)になると一般的に低温乾燥化が進んだと言われる。

 アフリカの低緯度地方では、中西部の地質は古くから安定して熱帯湿潤林の様相を呈していたが、東アフリカはこの時代に押し上げられ25001500メートルに達していた。そのことと関連し、大地溝帯は、頂部に生じた多くの断層、ついで玄武岩質のコニーデ火山、溶岩、火山灰によって形成された。

アフリカ大地溝帯は、紅海地溝、アデン湾地溝とともに、始新世にアラビア・プレートがアフリカプレートに対して反時計回りに回転して分離・開口したために生じたと考えられている。

 問題は、アフリカ大地溝帯のうち東部地溝の形成の時期が一斉に行われたのではなく、東部地溝帯北部のエチオピアでは始新世~漸進世にはじまり、中新世に入って中部のケニアさらに南のタンザニアに向かって次第に南下していったことである。

 つまり、低緯度にありながら、上昇運動によって標高が高くなり霊長類の住みやすい熱帯湿潤林が相対的により低い地溝帯の底に残る状態になった。(今でも地溝帯の底は湿潤で農業と蚊が多い)

 谷折りにした葉書の谷の部分に、水も熱帯湿潤林も霊長類(中新世のケニアピテクス?)もたまってきたと考えられる。そこに、北から火山が噴火し溶岩や火山灰で追われ、地溝という手網であたかも定置網に追い込まれれた魚のように次第に地溝帯の南部に溜まった形になった。

 ところが、中新世~鮮新世になると、ここでも火山活動は活発になり、行き場を失った人類の祖先は、大地溝帯から坂を這い上り、すでに草原・疎開林が発達していたサバンナに進出せざるを得なかったのではあるまいか。

 いまでも、ケニヤ・タンザニアの選手がアフリカ勢の中でも、際だってマラソンが強いのは、日常的に数百メートルの坂道を上り下りしていた名残かも知れない。

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