無料ブログはココログ

文明の行方

  • 00000149_039
    パパラギ

自然写真

  • 朝寒のミンミンゼミ
    人間の力を超えた存在の写真を目指して

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月

2014年8月28日 (木)

ケニアに移住したい

お世辞は、ほどほどに

 

Dsc_0981_197_2新年をアフリカはケニアのサンブル自治

区で迎えて、勇猛なサンブル族の村を訪

問しました。

 

高さ2メートルほどの円形の家で、屋根

は牛や羊などの毛皮で覆っている。

 

柱は細いアカシアを組んで、牛の糞で塗り固めた簡単なもの。

 

中は意外に広く、寝室とキッチン兼物置が各1、それに、土間のリビングと

子羊などを保護する1画もあって、かなり快適です。

 

英語の出来る酋長夫人の歓迎をうけ、アカシアの枝で囲まれた学校の中では、

火の起こし方を実演してくれました。

 

Dsc_0953_196_2
11日の夜は、電気柵で囲まれたロッジ

の脇の広場で、焚き火を盛大に起こしな

がら、サンブル族のバーベキューをして

くれた。ライオンやチーターが臭いに誘

われて出てくるといけないので、鉄砲を

構えたガードマンが黒い闇にとけ込んで、なんとなく薄気味悪い。

 サンブル族の男性が2人いて1人はナイロビの専門学校で

動物生態学を学んだインテリらしく、ライオンのブレードの範囲などで

結構話が弾みました。

 「ナイロビの方が便利だから、此処よりいいのでは?」と聞くと

「都会はうるさくて嫌いだ」「ここで、動物と暮らしている方がよっぽどいい」

という。

 なにやら、気が合って「わたしもこういうところがいいな、東京なんて帰りたく

ない」というと、

「ここで暮らせよ、家を1軒と奥さんを一人用意してあげる」「このまま帰るな」

 

と「神サン」を前にして言う。

 

「神サン」も「いい話じゃない」と言わんばかりに指で押してくる。

 

「自然と家は欲しいけどね・・・考えておく」と言ったけれど、

「あとで、返事をしろ」とすっかりその気のようだ。

 後で聞くと、サンブル族の家は奥さんが自ら造るものだそうだ。

なるほど、それでは「家は欲しいが奥さんは遠慮する」では

筋が通らないことになる。

それに、奥さんを1人貰うには両親に牛を30頭プレゼントしなければならないし、

夫も牛を何十頭も育てないと生きていけない。

 それでは、2DKの新築の家の前で、草原の星空のもと、ただ一人、

俳句を詠むというわけにはいかないではないか。


かくて、何事もなく、羽田に着きました。

あのとき、「神サン」が、なぜ指で押したかは謎です。

2014年8月25日 (月)

文明をあとに

陸路で赤道越え

 東部地溝帯の西端に近いタンザニアのセレンゲティ国立公園から、

数百万匹と言われるヌーの大群を突っ切り、リーキー博士が

アウストラロピテクス アファランシスを発見したことで名高い

オルドバイ渓谷で360万年前の地層を眺める。

 なるほど、こんなところでアウストラロピテクスは暮らしていたのか、

しかし、当時の環境と同じではないはず、

なぜ、樹木も多い住みよいはずの地溝帯の崖を登って

サバンナに進出したのか、謎は解けない。

 大地溝帯の形成末期に出来たンゴロンゴロの直径17キロ深さ

800メートルのクレーター(カルデラ)底の大草原には、

入ったきり出ることの出来ないカバやサイなどが世代を超えて暮らしている。

 06年の大晦日、ケニヤとの国境を越え、さらに北上して南半球から

北半球へ赤道を越える。

 空路で赤道を越える機会は少なくない。オーストラリアや

ニュージーランドに行けばいつの間にか越えている。

 でも、陸路の赤道越えはそう簡単には出来ない。

 「赤道って赤いのかな」小学校以来、地理の勉強をしたことのない

我が家の「神サン」が幼い質問をします。

私も何色か確かめたことは無いので、無言で走っていると、

なにやら、おみやげ屋さんの前に大きな看板があり、

大きなアフリカの地図が書かれている。

その真ん中をEQUATORと書かれた白い帯が横断している。赤道らしい。

 「アフリカの地図の赤道は白いの?」今でも赤道は、赤いから

赤道と名付けたと信じている妻は怪訝そう。

 (結論から言うと赤道の色は赤茶けた色でした。)Dsc_0860_193


Dsc_0859_194
赤道上でマサイ族らしい若者が、

バケツと小さな孔の開いた

洗面器をもって、何やら説明をしてい

る。10メートルほど南側で洗面器に水を

入れると底の小孔から水が流れ落ちて、

水に浮いた細い棒が右回りに廻る、

北側に行って同じことをすると

逆回りになる。Dsc_0849_189


なんと赤道上だと止まったまま動かない。

 

赤道上であることを証明するこれ以上完


璧な科学的実験はない。

しかも、先生は勇猛なマサイ族。

科学先進国の私たちはすっかり感心し

て、10ドルで若者のサイン入りの赤道通

過証明書をもらった。

 

でも、ちょっと高いかなと思ったので、

5ドルにならないかと交渉したが、聞こえないふりをする。

さればと、一計を案じて、1枚の証明書に2人の名前を続けて

書いてもらったので、結局一人分は5ドルになった。

ずいぶん長い名前だと思っていたかも知れない。

 大地溝帯を東岸に向け走っているうちに暗くなり、

道路が封鎖される
6時を過ぎた。

 ソマリヤに近い不気味な部落で泊まるなんてとんでもない。

わが勇猛なドライバーは鉄のトゲの生えた検問を突破、

悪路でスプリングが折れて大きな石にあたるたびに火花を散らしながら

一路サンブル保護区へ。

 ようやくついたものの門は閉まっている。守衛さんもいない。

何がどうなって入れたかわからないが、しばらくたって、

ようやく中に入れて、やれやれと思ったが、ロッジは遥か藪の中、

こんどは車が故障でもないのに止まってしまった。

なんと、ライオンの家族が夜道を通りすぎるのを気長に待っている。

東京の事故渋滞みたいだね、と言いながら、大晦日の夜遅く

ようやくロッジについた。

2014年8月24日 (日)

3、新仮説―人類がサバンナに進出した地学的理由

 爬虫類、恐竜時代の高温多湿の気候から新生代に入って中新世(2300万年前~530万年前)になると一般的に低温乾燥化が進んだと言われる。

 アフリカの低緯度地方では、中西部の地質は古くから安定して熱帯湿潤林の様相を呈していたが、東アフリカはこの時代に押し上げられ25001500メートルに達していた。そのことと関連し、大地溝帯は、頂部に生じた多くの断層、ついで玄武岩質のコニーデ火山、溶岩、火山灰によって形成された。

アフリカ大地溝帯は、紅海地溝、アデン湾地溝とともに、始新世にアラビア・プレートがアフリカプレートに対して反時計回りに回転して分離・開口したために生じたと考えられている。

 問題は、アフリカ大地溝帯のうち東部地溝の形成の時期が一斉に行われたのではなく、東部地溝帯北部のエチオピアでは始新世~漸進世にはじまり、中新世に入って中部のケニアさらに南のタンザニアに向かって次第に南下していったことである。

 つまり、低緯度にありながら、上昇運動によって標高が高くなり霊長類の住みやすい熱帯湿潤林が相対的により低い地溝帯の底に残る状態になった。(今でも地溝帯の底は湿潤で農業と蚊が多い)

 谷折りにした葉書の谷の部分に、水も熱帯湿潤林も霊長類(中新世のケニアピテクス?)もたまってきたと考えられる。そこに、北から火山が噴火し溶岩や火山灰で追われ、地溝という手網であたかも定置網に追い込まれれた魚のように次第に地溝帯の南部に溜まった形になった。

 ところが、中新世~鮮新世になると、ここでも火山活動は活発になり、行き場を失った人類の祖先は、大地溝帯から坂を這い上り、すでに草原・疎開林が発達していたサバンナに進出せざるを得なかったのではあるまいか。

 いまでも、ケニヤ・タンザニアの選手がアフリカ勢の中でも、際だってマラソンが強いのは、日常的に数百メートルの坂道を上り下りしていた名残かも知れない。

2014年8月 4日 (月)

「彼らが夢見た2000年」の夢は 2

「彼らが夢見た2000年」の夢は 2

人類発祥の地へ

  ―原風景を求めてー

 なぜ、人間に自然は必要なのか」、上高地スカイライン建設をすすめていた村長

さんの質問に答えられなくて、ついに研究にはまりこんで45年。

 1972年から3年間の視環境調査から、人類に共通して好まれる風景が、どうやら尾

瀬や高山植物帯、ブナ林、農用林、水田、海岸のような「見通しのよい草原・疎開

林型の自然」らしいとわかってきました。

 では、なぜ、サバンナのような草原・疎開林型の自然が共通して好まれるのか。

 もしかしたら、森林の樹上生活から草原に出た人類の祖先が、はじめて立ち上がっ

た時に目の当たりにした風景だったからではないのか。

 そんな仮説を長い間心に抱きながら、ほんとかどうか、死ぬまでにはサバンナを一

度見ておきたいと、「ライオンに襲われない?」とか「人食い人種は?」と尻込み

する「神サン」を説得して、東アフリカの大地溝帯とサバンナの大草原を目指しました。

 1 大草原の大きな島

 ケニヤの11月は乾季に入り、雨雲と草を求めてヌーの大群が南のタンザニアに

大移動することはテレビでもおなじみの光景。

 

そのころのタンザニアは小雨期のはじめで、いうなれば新緑の季節

 06年の12月の暮れは雨が多く、豪雨をついて、ヌーの大群をおしのけてセレン

ゲティー国立公園の大草原に入ったのはいいが、サバンナにも川があります。

 大雨が降って増水し、道路は水没。陸の孤島に取り残されることになりました。

 幸い、増水も早いけど退くのも早く、サバンナの大草原と疎開林を堪能するの

に支障はありません。

 夢にまで見た360度新緑の大草原は、たしかに地平線が丸く見えます。

 やや低いところには疎開林のアカシアが武蔵野のケヤキそっくりに立っている。

 いつか、どこかで見たことのある風景です。

 

Dsc_0114_015


かつて、霊長類学者の河合雅雄さんが「サバンナは、不思議なことに、初めて見たのに懐かしい風景だった」と、私の仮説にエールを送ってくれたことを思い出します。

 人類の祖先もこんな風景を見ながら進化したのだろうか。

森林の樹上から、なにかの事情があって草原に進出した人類の祖先になったつもりで見回してみました。

 草原で直立2足歩行をしたのはよく分かります。イネ科を主とした草原では、外敵

いち早く発見したり、餌を探すには、草丈より目を高くする必要があります。

 そういえば、シマウマもヌーもインパラもガゼルの仲間も首を伸ばせば目は草

より高くなっていて外敵の接近を知ることが出来ます。

 草に隠れて近づくヒョウやチーターも、獲物を見つける時は見通しが必要なの
か、蟻塚に上がったり、なんと前足をアカシアにかけて立ち上がります。

 チンパンジーも草原に出るときは立ち上がって様子をうかがいます。

 草原で立ち上がるのは、生きていく上で不可欠なことが実感出来ます。

 数百万年前、人類の祖先が直立二足歩行を進化させたのは、サバンナのような環境

だったのは確かなようです。

 だが、なぞは残ります、人類の祖先は、多くの類人猿のように樹上生活者だったは

ずです。

 どうして、決して不都合でもなかった木の上から、危険な草原に降りてきたのか。

 樹上から地上に降りなければならない特別の事情でもあったのでしょうか。

 その謎に挑戦するため、アフリカ東部に南北に雁行して2本、計数千キロにわたるという地球

の裂け目の大地溝帯のうち、エチオピアからタンザニアに至る東部地溝帯を越えて、タンザニ

アから戦乱のソマリアに近いケニアのサンブル保護区に向かいました。

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »