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文明の行方

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2016年3月

2016年3月26日 (土)

私の俳句観 1

私が俳句に関心を持ったのは、もう、70年も前、戦争が始まってまもなくの頃だった。忘れもしない日本軍がシンガポールを占領したと新聞が大きく報道していた。春一番が吹いていたのか強い南風が吹いていた。当時小学4年生だったと思うがそのときの俳句を今でも覚えている。

南風南の戦果運ぶ今日

私の俳句遍歴を語るにしては恥ずかしい限りだが戦時中の空気をそのまま子供心に俳句にしたということだろう

その後戦争も終わり、6334という新しい学制になったが私たちは旧制中学のまま四年生になった。授業も一 変し国語の授業に俳句があった。先生は中山章先生といい早稲田大学の文学部を卒業間もない先生で、私たちに俳句を作らせては黒板に全部書き全員で選句をするのだった。

その時なぜか私の句が何十人かの票を集め一番に選ばれて先生に褒められた

その時の俳句が

汽笛遠く水面の蛍二つ三つ

というので、その後、勧められて、俳句の雑誌「暖流」に投句して取り上げられた。

当時、富士の南麓に疎開していたが、家の前は水田とそれに続く浮島が原という湿原で、夏ともなると蛍が乱舞し南の微風が吹く夜には風に乗って二階の窓から入ってきていた。水面の柳の枝にもたくさん止まっている。浮島が原の海側は砂丘になっていてその上を東海道と東海道線が走っており蒸気機関車が走っていた。ときおり、ぼーっと汽笛を鳴らすとその低周波音が蛍の群れる水辺に届き波紋が生まれる。

そんな情景を俳句にしたつもりだが未だに納得していない。蛍の影が汽笛に揺れるさまが表現されていない、と思っているが、汽笛も蛍ももう思い出の世界になってしまった。

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