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文明の行方

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    パパラギ

自然写真

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    人間の力を超えた存在の写真を目指して

文明

2016年1月27日 (水)

内なる自然・内なる神2

また、霊長類学者の河合雅雄は「子どもと自然」(1990 岩波新書)の中で「進化史を通じて人類の存在の根本を形成している諸性質を“内なる自然”と名付けよう。」とし、「系統発生的適応を通じて、われわれの心性の奥深く形成されたもの」を“内なる自然”と呼んでいる。そして、ヒトの生物的基礎は生理、形態、遺伝のほか社会行動、社会関係などに影響しているとしている。

 

 

 

両者で重なっているところは、進化の過程で外的環境とかかわり合って系統発生的に適応した(生得的な)諸性質を「内なる自然」「内なる神」と呼ぶ点では一致している。

 

 

 

その上で、「内なる自然」「内なる神」が現在の人間の行動やビヘイビア(態度)に反映ないし影響されている点でも一致し、一旦形成された生得的な諸性質は、環境が変化しても容易に変化しないで保存されており、変らずに見られるという点でも一致している。

 

 

 

両者で若干ニュアンスが違うのは、デュボスは「われわれひとりひとりが遺伝的資質と過去の経験から引きだす各人の属性と態度の発現」を「内なる神」としているのに対し河合は「われわれの心性の奥深く形成されたもの」で、われわれは「内なる自然」に影響を受けているものの、各人の経験を「内なる自然」に含むとはしていない。

内なる自然・内なる神

2つの考え方を紹介しておきたい。

 

一つの考え方は、フランス生まれの細菌学者、ルネ・デュボスの「内なる神」である。

 

ルネ・デュボスはその著書「内なる神」(A God Within)(1974 蒼樹書房)の中で、「われわれひとりひとりが遺伝的資質と過去の経験から引きだす、各人の属性と態度の発現」を「内なる神」としている。

 

自然と人間を結びつけた「内なる神」の例として、進化の過程でいつか結びついた、宇宙の力と人間の昼夜の日周期、四季と人間の季節的周期、血圧やホルモンの変動、月令周期などによる行動パターンの変化などのほか、景観や社会行動をあげている。

 

そして、「一般に都市、景観、地域、場所の独自性もまた、かくれた力に由来しているとしている。

 

 

 

「内なる神の最も重要な発現形態のひとつは、まさに、この際立った特性が保持されるという点にあるといってよい」その特性は「生来の特性と、それに作用する外的な力が相互に作用して出来上がっている」もので「際立った特性というものは、状況の変化にもかかわらず一貫して残るものなのである」としている。

 

 

 

さらに自然、nature について「物の基本的特性あるいは構成」とか「人や事物の内因的特性または素質」としている。

2014年8月28日 (木)

ケニアに移住したい

お世辞は、ほどほどに

 

Dsc_0981_197_2新年をアフリカはケニアのサンブル自治

区で迎えて、勇猛なサンブル族の村を訪

問しました。

 

高さ2メートルほどの円形の家で、屋根

は牛や羊などの毛皮で覆っている。

 

柱は細いアカシアを組んで、牛の糞で塗り固めた簡単なもの。

 

中は意外に広く、寝室とキッチン兼物置が各1、それに、土間のリビングと

子羊などを保護する1画もあって、かなり快適です。

 

英語の出来る酋長夫人の歓迎をうけ、アカシアの枝で囲まれた学校の中では、

火の起こし方を実演してくれました。

 

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11日の夜は、電気柵で囲まれたロッジ

の脇の広場で、焚き火を盛大に起こしな

がら、サンブル族のバーベキューをして

くれた。ライオンやチーターが臭いに誘

われて出てくるといけないので、鉄砲を

構えたガードマンが黒い闇にとけ込んで、なんとなく薄気味悪い。

 サンブル族の男性が2人いて1人はナイロビの専門学校で

動物生態学を学んだインテリらしく、ライオンのブレードの範囲などで

結構話が弾みました。

 「ナイロビの方が便利だから、此処よりいいのでは?」と聞くと

「都会はうるさくて嫌いだ」「ここで、動物と暮らしている方がよっぽどいい」

という。

 なにやら、気が合って「わたしもこういうところがいいな、東京なんて帰りたく

ない」というと、

「ここで暮らせよ、家を1軒と奥さんを一人用意してあげる」「このまま帰るな」

 

と「神サン」を前にして言う。

 

「神サン」も「いい話じゃない」と言わんばかりに指で押してくる。

 

「自然と家は欲しいけどね・・・考えておく」と言ったけれど、

「あとで、返事をしろ」とすっかりその気のようだ。

 後で聞くと、サンブル族の家は奥さんが自ら造るものだそうだ。

なるほど、それでは「家は欲しいが奥さんは遠慮する」では

筋が通らないことになる。

それに、奥さんを1人貰うには両親に牛を30頭プレゼントしなければならないし、

夫も牛を何十頭も育てないと生きていけない。

 それでは、2DKの新築の家の前で、草原の星空のもと、ただ一人、

俳句を詠むというわけにはいかないではないか。


かくて、何事もなく、羽田に着きました。

あのとき、「神サン」が、なぜ指で押したかは謎です。

2014年8月24日 (日)

3、新仮説―人類がサバンナに進出した地学的理由

 爬虫類、恐竜時代の高温多湿の気候から新生代に入って中新世(2300万年前~530万年前)になると一般的に低温乾燥化が進んだと言われる。

 アフリカの低緯度地方では、中西部の地質は古くから安定して熱帯湿潤林の様相を呈していたが、東アフリカはこの時代に押し上げられ25001500メートルに達していた。そのことと関連し、大地溝帯は、頂部に生じた多くの断層、ついで玄武岩質のコニーデ火山、溶岩、火山灰によって形成された。

アフリカ大地溝帯は、紅海地溝、アデン湾地溝とともに、始新世にアラビア・プレートがアフリカプレートに対して反時計回りに回転して分離・開口したために生じたと考えられている。

 問題は、アフリカ大地溝帯のうち東部地溝の形成の時期が一斉に行われたのではなく、東部地溝帯北部のエチオピアでは始新世~漸進世にはじまり、中新世に入って中部のケニアさらに南のタンザニアに向かって次第に南下していったことである。

 つまり、低緯度にありながら、上昇運動によって標高が高くなり霊長類の住みやすい熱帯湿潤林が相対的により低い地溝帯の底に残る状態になった。(今でも地溝帯の底は湿潤で農業と蚊が多い)

 谷折りにした葉書の谷の部分に、水も熱帯湿潤林も霊長類(中新世のケニアピテクス?)もたまってきたと考えられる。そこに、北から火山が噴火し溶岩や火山灰で追われ、地溝という手網であたかも定置網に追い込まれれた魚のように次第に地溝帯の南部に溜まった形になった。

 ところが、中新世~鮮新世になると、ここでも火山活動は活発になり、行き場を失った人類の祖先は、大地溝帯から坂を這い上り、すでに草原・疎開林が発達していたサバンナに進出せざるを得なかったのではあるまいか。

 いまでも、ケニヤ・タンザニアの選手がアフリカ勢の中でも、際だってマラソンが強いのは、日常的に数百メートルの坂道を上り下りしていた名残かも知れない。

2014年8月 4日 (月)

「彼らが夢見た2000年」の夢は 2

「彼らが夢見た2000年」の夢は 2

人類発祥の地へ

  ―原風景を求めてー

 なぜ、人間に自然は必要なのか」、上高地スカイライン建設をすすめていた村長

さんの質問に答えられなくて、ついに研究にはまりこんで45年。

 1972年から3年間の視環境調査から、人類に共通して好まれる風景が、どうやら尾

瀬や高山植物帯、ブナ林、農用林、水田、海岸のような「見通しのよい草原・疎開

林型の自然」らしいとわかってきました。

 では、なぜ、サバンナのような草原・疎開林型の自然が共通して好まれるのか。

 もしかしたら、森林の樹上生活から草原に出た人類の祖先が、はじめて立ち上がっ

た時に目の当たりにした風景だったからではないのか。

 そんな仮説を長い間心に抱きながら、ほんとかどうか、死ぬまでにはサバンナを一

度見ておきたいと、「ライオンに襲われない?」とか「人食い人種は?」と尻込み

する「神サン」を説得して、東アフリカの大地溝帯とサバンナの大草原を目指しました。

 1 大草原の大きな島

 ケニヤの11月は乾季に入り、雨雲と草を求めてヌーの大群が南のタンザニアに

大移動することはテレビでもおなじみの光景。

 

そのころのタンザニアは小雨期のはじめで、いうなれば新緑の季節

 06年の12月の暮れは雨が多く、豪雨をついて、ヌーの大群をおしのけてセレン

ゲティー国立公園の大草原に入ったのはいいが、サバンナにも川があります。

 大雨が降って増水し、道路は水没。陸の孤島に取り残されることになりました。

 幸い、増水も早いけど退くのも早く、サバンナの大草原と疎開林を堪能するの

に支障はありません。

 夢にまで見た360度新緑の大草原は、たしかに地平線が丸く見えます。

 やや低いところには疎開林のアカシアが武蔵野のケヤキそっくりに立っている。

 いつか、どこかで見たことのある風景です。

 

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かつて、霊長類学者の河合雅雄さんが「サバンナは、不思議なことに、初めて見たのに懐かしい風景だった」と、私の仮説にエールを送ってくれたことを思い出します。

 人類の祖先もこんな風景を見ながら進化したのだろうか。

森林の樹上から、なにかの事情があって草原に進出した人類の祖先になったつもりで見回してみました。

 草原で直立2足歩行をしたのはよく分かります。イネ科を主とした草原では、外敵

いち早く発見したり、餌を探すには、草丈より目を高くする必要があります。

 そういえば、シマウマもヌーもインパラもガゼルの仲間も首を伸ばせば目は草

より高くなっていて外敵の接近を知ることが出来ます。

 草に隠れて近づくヒョウやチーターも、獲物を見つける時は見通しが必要なの
か、蟻塚に上がったり、なんと前足をアカシアにかけて立ち上がります。

 チンパンジーも草原に出るときは立ち上がって様子をうかがいます。

 草原で立ち上がるのは、生きていく上で不可欠なことが実感出来ます。

 数百万年前、人類の祖先が直立二足歩行を進化させたのは、サバンナのような環境

だったのは確かなようです。

 だが、なぞは残ります、人類の祖先は、多くの類人猿のように樹上生活者だったは

ずです。

 どうして、決して不都合でもなかった木の上から、危険な草原に降りてきたのか。

 樹上から地上に降りなければならない特別の事情でもあったのでしょうか。

 その謎に挑戦するため、アフリカ東部に南北に雁行して2本、計数千キロにわたるという地球

の裂け目の大地溝帯のうち、エチオピアからタンザニアに至る東部地溝帯を越えて、タンザニ

アから戦乱のソマリアに近いケニアのサンブル保護区に向かいました。

2014年7月30日 (水)

「彼らが夢見た2000年」の夢は・・・

「彼らが夢見た2000年」はなぜ実現しなかったのか 

人間と結びついている自然「内なる自然」のうち、視覚では・・・


大都会を離れて、わが「フクロウ亭」00000216

 ある谷津田の一角に入っていくと、見慣

 れた里山の風景なのに、何故かほっとし

 ます。

 里山のもつこのやすらぎは、なぜなのだ

 ろうと、かねてから思っていました。

 ヤマを背に水田の広がる、ひろびろとし


 た風景のなかに、棚田を区切る畦のやさ

 しい曲線や、小川のせせらぎと、小さな

 堰で出来た池のような淵、そこには、生

 き生きしたメダカやイシガメが泳ぎ、

 ホタルが飛び交っています。

 そんな里山がいつの間にかなくなってきたので、なんとか保存しようという声があ

 がっています。

 単なるノスタルジアと考えられなくもありません。でも、不思議なことに、

 昔の谷津田を知らない若い世代や外国人もなんとなくやすらぐというのです。

 

103つい最近まで、どこにでもあったのどかな里山の風景に、誰もが感じるふるさとは

 何か特別の意味があるのでしょうか。

 

里山の風景がわれわれを育んだ原風景だとすると、民族の原風景はどのようなもの

 だったのでしょう。柳田国男によると、人は、いわゆる「朝日の直指国、夕日の日照る国」を選び、片平(カタビラ)の地を求めたといいます。

 「カタビラ」とは、友人の松崎憲三成城大学教授によると一方をヤマにより、一方

 に田野を控えた地形を指す語です。

 「サト」はこのようなカタビラの地に多く立地していたそうです。どうやら、日本

 人は伝統的に「カタビラ」の地、すなわち、ヤマを背にした開けた空間を原風景と

 して求めて暮らしていたらしいのです。

 うだとすると、先にみた谷津田の原風景も、ヤマを背に、日の直指す水田を南に

 しているので、「カタビラ」の地の一類型ということができます。

 民族の原風景と、われわれ現代人の原風景の一致は、単なる偶然のものでしょう

 か。それとも、何かそうさせる本質的なものがあるのでしょうか。

 そこで気になるのが人類の原風景です。

 

もう40年以上も前のことになりますが、私と立花直美武蔵野美大教授は、どのよ

 うな自然環境が人間にとって〝快い″か、〝やすらぐ″かを調べてみました。その

 結果、尾瀬のヌマガヤ群落のような、見通しのよい草原・疎開林型の自然が評価も

 高く、人々がやすらぐことがわかりました。

 この結果は、アジアやヨーロッパの人も同じ傾向でした。


どうして人々は、見通しのよい草原・疎開林型の自然に、やすらぎを感じる

 のでしよう。

2014年7月29日 (火)

「彼らが夢見た2000年」6

「彼らが夢見た2000年」6


なぜ、自然を捨てられなかったのか

 焚火のゆらめき以外にも、人間にとって欠かせない自然があります。

 人類の進化の過程で結びついたと考えられる生得的な


人類共通の「内なる自然」です。
(生得的かどうかは、共通してみられるかどうかでわかります)

 たとえば、人間の五感と結びついた自然。

 味覚では

 人類は共通して甘いものが好きです。

 人類の祖先が樹上生活をしていた時代、甘く熟した果実食を通して結びついたからと考えられます。

 聴覚では

元筑波大学の大橋力教授によると、人類共通して耳に聞こえないゆらめきを伴う超高周波音のある音にやすらぎを感じるようです。

 これはほんとに不思議なことです。現在は聞こえなくても不自由しない超高周波音が、あった
方がやすらぐのは、

進化の過程で太古の昔の原始の森の音と結びついているからと考えないと説明ができません。

2014年7月21日 (月)

「彼らが夢見た2000年」5

「彼らが夢見た2000年」5

 120年程前の人々は、便利化のために鉄とコンクリートをふんだんに使った夢を描いていました。

町の上を数えきれないロケットやヘリコプターが飛び交い、地上は鉄とコンクリートだけの都市を夢として描いています。

自然は描かれていません。

 村の上に、空中に浮かぶもう一つの村もありました。

 しかし、こんなに自然がなくても大丈夫?と、すぐに気が付いたようです。

 1897年に刊行された雑誌「カントリーライフ」の25周年記念号には「われわれイギリス人は都会に住んでいても、心の奥底では田舎の住人なのである」と記し、広くイギリス人に支持されました。

人々は田園の自然から離れられなかったようです。そして、理想郷として機械文明とは反対側のアルカディアの風景を描いていました。

また、文学ではロマン派、庭園では自然と歴史を取り入れたイギリス式庭園を生み出していました。

 サモアの酋長の演舌集「パパラギ」が刊行され、多くの人に読まれたのもこのころです。

 20世紀の初めころには、早くも「2000年に描いた夢」の実現への意欲は失われていったのです。

 では、なぜ、人々は早々と自然に回帰したのでしょう。

 便利な社会になっても、自然から離れられない何かがあったからに違いありません。

2014年7月16日 (水)

彼らが夢見た2000年」4




「彼らが夢見た2000年」4

 120年程前の夢の数々、技術的には可能だったのに、何故か、実現の意欲を失ってほとんど実現しませんでした。

 一つ目の理由は「便利のつもりが、ちっとも便利でないのよね」二つ目の理由が「これが便利なの?」

 三つ目の理由は、便利にしようという目的は忘れなかったけれど、その代り、大切なものを犠牲にして便利化させてしまった。

 例えば、

 便利と効率をひたすら目指した時代、人々にとって炎は光源と熱源としてしか映らなかった

 そして、光と熱を別々にして進化させました00000498_017

 炎の光は、竪穴住居では備え付け型の炉として、炎の形で光と熱を分化させずに使っていました。やがて、光を分化させて進化させます。

 光源は炉のように動かせないと不便です。そこで、人々は動かせるように土器の中に入れ、移動可能な光源として利用するようになります。やがて、夜間の移動照明用に、松明、吊り手土器に進化させ便利化します。

 そして、近世には燈火、紙で覆った行灯、土器で覆った瓦燈、提灯、ランプと進化します。

 この段階ではまだ炎の形はありますが、近代になるとガス灯から白熱電灯、蛍光灯、発光ダイオード・・・

 そして炎はなくなり光だけが残りました。

 炎の熱も同様です、囲炉裏は炎の熱を利用していましたが、動かせないと不便だからと、移動できる火として七輪が発明されやがて、電熱器、電子レンジに進化しました。

 そのことが悪かったというわけではありませんが、その過程で、原始の人が大切にしていた炎、明るい光とともにあった、暖かいゆらぎも捨ててしまったのです。

 一般に、文明は効率化にために、物事を細かく分けて、一つ一つを特殊化させるという方法をとってきました、その方が効率がいいからです。

 ですから、炎に限らず、とりあえず必要でない機能は捨ててきたのです。

 人間は便利化のために、様々なものを捨ててきました。

 しかし、人間にとって、捨ててはいけないものもありました。

 炎の光も単なる光と熱だけで成り立っているのではありません、原始時代から深く人々と結びついてきたものです。

 だから、今でも人々は、ランプの光や、キャンプファイアー、火の祭り、鵜飼い、花火などを求めつづけています。

 便利化の陰で、炎以外にも、人間にとって欠かせない大切なものがありました。

 自然です。

2014年7月14日 (月)

「彼らが夢見た2000年」 3

「彼らが夢見た2000年」3

 120年程前の夢が、実現しなかった一つ目の理由が、便利なはずが、ちっとも便利でなかったからですが

 二つ目の理由は、便利化を目指したものの、何か変なのよね、もしかして、目的を間違えたのではない?

 1900年頃の画家、ヒース・ロビンソンの絵「わが庭に幸いあれ」筑摩書房1998のイラストには

 庭の便利化では、 屈まないで庭仕事が出来るように、台車の上にマットを敷いて腹這いになって草取りをしています。もしかして、屈めないの? だったら、なおさら・・・

 そもそも、自然に触れることが目的の庭仕事なのに、何してるの?クッションに乗りたいの?

 自然の中での運動も機械化で快適に、運動するのに機械化して運動なの?

 本を読みながら気球に乗った子どもとお散歩、電動ベビーカーに親も乗って外出。便利になって運動不足

 あげくの果てに、太りすぎたら、まず、体重計に乗りながらの食事で減量、それでも太ったら、瞬間減量機で一瞬にしてスリムに・・

 そこまでする必要あったのでしょうか、便利化の目的がおかしくない?


これでは、2000年を待たずに実現の意欲を失ったのは当然です。

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